44の誓い

寅次郎です。昨日で44歳の誕生日を迎えました。

44年前産んでくれたお母さん、お父さんに感謝です。その旨を母親にLINEしましたら「45じゃなかった?」とサバ読まれました!

何より健康で働けて44を迎えられてよかったです。

少し長いですがみなさんに44歳になった僕の思いを聞いて頂きたいのでどうかお付き合いください。

小さな頃から三人兄弟の真ん中だった為か「なんか目立ってちやほやされたい」という褒めて欲しい欲求が強く育ってしまいました。

勉強や運動はそこそこなんでもできたけど、壁にぶつかったり、上には上のレベルを知るとすぐに辞めたり逃げて挑戦することどころか、悔しいとさえ思わず過ごしてしまいました。

家でも本質を見抜いてズバッと怒る母から逃げて、何も言わない甘えさせてくれる父とばかりいました。

いつの間にか幼少期から甘くて楽な方を選ぶクセがついていたんですね。

そんなままお笑い芸人になりました。

ただただ有名になりちやほやされたかったのです。

初舞台でアンタッチャブルさんやスピードワゴンさんを見て「こんな世界でやっていけるわけない」とレベルの違いを知り心が折れました。

だけど、「そこそこでいい」と19年も芸人を続けました。たしかにちょこちょこテレビに出たりライブもそれなりに結果が出たり、まさにそこそこでしたが、ちやほやされることに満足慢心してしまい努力もしないまま売れずに続けてしまいました。

自分でネタも作らずウケないのを周りのせいにするただただ芸歴が長いだけのおじさんです。

この19年の間に父を亡くしたり、離婚したりと失敗をバネに心機一転頑張るチャンスは与えて頂いてたのですが、ただただ卑屈になり「俺なんか…どうせ…」と殻に閉じこもってしまいました。

なのに、カッコつけて苦労したフリをしたり、可哀想でしょ?とかまってちゃんが出てしまい、だんだん周りから人が離れていきました。

そして売れずに40歳にもなって行き場をなくしてしまい、ついにギャラ飲みにまで手を出してしまったのです。

芸も心も捨ててしまいました。

それからは落ちるべくして落ちるのみ、反社会勢力に追われたり体も心もボロボロでした。生きていく光を失ってました。

そんな時に弊社社長の平田幹裕に救って頂きました。

と言ってもその時はそれすらわからず、ただただ毎日怒られる日々。

言われてる真意を理解したフリをしていたので、もちろん腹には落ちないから同じ失敗を繰り返す日々。

毎日どうやったら僕にわかってもらえて豊かな人生を歩んでもらえるか平田も悩みに悩んだようです。あの手この手で向き合ってくれて、ついには亡くなった僕の父の思いに代わって平田が語るほどになりました。

やがて少しずつですが、本当の自分に向き合うことができ感謝を学べることができてきました。まだまだよちよち歩きで危なっかしく、根本の承認欲求やカッコつけてちやほやされたい部分がどこかにあるのです。

それでも平田社長は僕を取締役にして、共に成長できるような環境を与えてくださりました。

昨日44歳を迎えるにあたり、今までのギャラ飲みまでしたどれだけ痛い思いをしても慢心してしまう根心を捨てて、これからは平田幹裕に恩返しをする人生を歩むこと、餃子を世界に羽ばたかせることを信念に生きることを自分に誓いました。

まだまだ力も心も足りないですがいつか「お前を選んでよかった」と言われるように一歩ずつですが歩んで参ります。

昨日平田社長からおそろいのネクタイピンを頂きました。自分で足元固めて、これで心の真ん中をしっかり留めて「これ付けて一緒に契約に行こうぜ」と。

このピンが輝くようこれからですがしっかり生きます。

ダンジーさんありがとうございます。

皆さまも長々とお付き合い頂きありがとうございました。

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