餃子への思い


33歳の時、私はどん底に落ちました。
その時の私は自暴自棄、人間不信、鬱状態から抜け出せない毎日を送っていました。
しかし、そこから救い出してくれたのが餃子だったのです。

餃子がどうやって私を救ってくれたのか?

そして私の餃子への思いをここに綴らせて頂きます。

大阪の大学を卒業してしばらくしてからミュージシャンを目指して上京しました。

そして当時でも珍しい子供向け本格バンドを結成。

あの「およげ!たいやきくん」の作詞で有名な高田ひろお氏が師匠となり、頂いた詩に私が作曲した楽曲でのパフォーマンスは全国の幼稚園から引っ張りだことなりました。

さらに、ライブハウスに大人と子供が集まるという世にも珍しいバンドとなり、遂にとある音楽事務所の目に止まったのです。

準備を重ね、華やかな未来が約束されたデビューも近づいて来たある日、突然社長が何億円もの借金を残して自殺してしまいました。

その場に残されたプロデューサー達は豹変し、逃亡。当然事務所は崩壊。バンドも解散となりました。

夢を断たれ、目の前が真っ暗になった私は自殺した社長を恨む日々をしばらく送る事になります。

そして中々上を向けないこの時期、唯一心が弾む出来事は学生時代から作っていた餃子作りでした。


餃子作りのきっかけは学生時代に中華料理屋さんでアルバイトをしながら趣味のラーメン屋さん巡りをしていた時、

“ラーメンは出汁にこだわっていて美味しいのに餃子は何故か美味しくない。餃子が泣いている。餃子がかわいそう!”

と感じた事でした。


アルバイト先の店主から出汁の素晴らしさを教えて頂いていた私は、美味しい餃子を作りたい、出汁が効いた餃子を作りたいという衝動に駆られ、いてもたってもいられなくなっ事を今でもはっきりと覚えています。

デビューが出来なかった事を人のせいにし、鬱々とした気分でも餃子は毎日作っていました。

そんな日々を送っていたある日、ふと、全てを受け入れられた瞬間がありました。起こった事全てが私の人生なのだと。

餃子が私をどん底から救い出してくれたのです。

私は餃子に人生を救われたのです。

それならば救ってもらった餃子の為にこれからの私の人生を捧げよう。

そして恩返しをしていこうと思う事は私にとっては自然な流れでした。


餃子への恩返しとは。

まず、世界では餃子の事をダンプリング(dumpling)と言うのですが、それを【GYOZA】として知ってもらいたい。

そして、餃子で人の役に立ちたいのです。

糖質制限の餃子の開発販売は研究に研究を重ねてやっとたどり着きましたが、もっともっと幅を広げ、様々な方に安心して美味しく召し上がって頂く事が餃子への恩返しになると考えており、今現在取り組んでおります。


人生山あり谷ありです。開発も上手くいく事ばかりではありません。でも…


たかが餃子 されど餃子

破れちゃってもいいじゃない

餃子だもの

平田



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